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2007年10月 6日 (土)

セーラー服と縞シャツ

 セーラー服発祥論争勃発!…って、個人的にはどっちでもいいハナシですが、
 私も高校時代セーラー服だったので、ついチェックしてしまいました(^_^;)

毎日新聞071006より】
<セーラー服>発祥論争 平安女学院VS福岡女学院
 女子生徒のセーラー服の起源は京都かそれとも福岡か―。学校法人「平安女学院」(京都市)が「日本で初めてセーラー服を導入したのは1920年の当校だ」と発表し、波紋を広げている。これまでは1921年導入の学校法人「福岡女学院」(福岡市)が発祥とされてきた。福岡女学院は「今のスタイルはうちの制服が起源だ」と、一歩も譲らない構えだ。【加藤隆寛】
 学生服大手「トンボ」(岡山市)が、制服資料の展示施設をリニューアルするため学校史などを調べたところ、1920年に平安女学院がセーラー襟の付いたワンピースの洋服を制服に採用していたことが判明した。平安女学院は「導入時期は学内で知られていたが、日本初だとは確認していなかった」と説明する。
 同学院は1875年に開校、幼稚園から大学まで運営している。セーラー服採用の詳しい経緯は不明だが、「当時は入学希望の理由となるほど好評だった」という。制服はその後ブレザーに変わったが、昨年、中学でセーラー服が復活した。
 一方、福岡女学院は1885年開校。宣教師の校長が発案し1917年からセーラー服導入を検討、21年に導入した。スカートにプリーツが入る今の一般的なスタイルに近い形だった。80年代に「日本初のセーラー服」と報道され、入学パンフレットにも「日本初」と記載されている。女優の牧瀬里穂さんや歌手の広瀬香美さんらが卒業したことでも知られ、03年には玩具大手「タカラ」(現・タカラトミー)が同学院のセーラー服姿の「リカちゃん」のキーホルダーを発売し話題を呼んだ。
 少子化で生き残りにしのぎを削る私学にとって、学校の独自色や伝統は生徒集めの重要な要素となる。平安女学院の広報担当者は「服飾史を覆す新事実だ。これまで伝統を売り込もうという意識が足りなかった」と話し、今後大々的に情報を発信していく考えだ。一方、収まらないのは福岡女学院。「多くの学校がうちの制服を参考にして、セーラー服を導入してきた。入学パンフの記載を変えるつもりはない」と広報担当者は強気だ。
 トンボの佐野勝彦・ユニフォーム研究室長は「日本で初めて『洋服』を制服に採用したのは平安女学院。でも、今のセーラー服のデザインは、福岡女学院の当時の制服から出発している。どちらが『最初のセーラー服』と言っても間違いではないのでは……」と、双方の顔を立てようと必死だ。

→ふうぅ。「トンボ」の人が困ってるじゃないですか~。私学が生き残るのが大変、ということはとってもよく分かりますが、制服の形も違うことですし、双方ともってことにはいかないもんでしょうかねぇ…。

その裏で、一番このニュースをよろこんでいるのはここでしょう (^o^)その名も…

  「【企画展】セーラー服と縞のシャツ-その由来と広がり-」

開催中(10/6~)ですから♪きっと企画担当者はこのニュースをみて、「グッドタイミ~~ング!!(^_^)v」なんて思ってたりしてね~☆☆☆

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2007年10月 4日 (木)

平安京左京三条二坊十町跡(堀川院の遺構)発掘調査現地説明会のお知らせ(07/10/06)

終了しました

堀川院の遺構の一部が検出されております。ご興味のある方は是非(^^)/

平安京左京三条二坊十町跡(堀川院の遺構)発掘調査現地説明会のお知らせ

(財)京都市埋蔵文化財研究所HPより

(財)京都市埋蔵文化財研究所では,現在,平安京左京三条二坊十町において発掘調査を実施しており,この度,平安時代の名邸の一つ,「堀河院」の遺構の一部を検出しました。堀河院は,太政大臣藤原基経によって開かれ,後に円融・白河・堀河各天皇の里内裏としても用いられた邸宅です。今回見つかった遺構は,堀河院の南側に広がる池や景石,白砂敷きなどです。つきましては,発掘調査の成果発表を下記のとおり現地にて行いますので,お知らせします。

  日 時: 平成19年10月6日(土) 午前10時から11時まで

 場 所: 京都市中京区油小路通押小路下ル押油小路町238-1(元城巽中学校)           
 問 合: 現場事務所 075-212-7383

 交 通: 市バス 『堀川御池』下車 徒歩約5分
             地下鉄東西線『二条城前』駅下車
             2号出入口より徒歩約3分

 ※お願い 駐車場がありませんので車でのご来場はご遠慮下さい。

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2007年10月 3日 (水)

滋賀県栗東市手原遺跡発掘調査現地説明会のお知らせ(07/10/06)

 終了しました

 栗太郡の郡家と考えられる岡遺跡との関係が気になるところですね。ご興味のある方は是非(^^)/

手原遺跡発掘調査現地説明会のお知らせ

[栗東市出土文化財センターHPより]

手原遺跡の発掘調査の現地説明会を、下記のとおり開催いたします。

日 時 : 平成19年10月 6日(土)午後1時30分より
          *荒天の場合は翌日7日(日)の同時刻
場 所 : 栗東市 手原地先

お問い合わせ先
    栗東市出土文化財センター  TEL 077-553-3359
    栗東市教育委員会生涯学習課 TEL 077-551-0131

アクセス   電車:JR草津線手原駅南口 南東へ400m 徒歩約5分。
                手原駅には道順案内掲示板を設置いたします。

今回の調査では、溝、大溝、井戸などのほか掘立柱建物が9棟以上発見されました。これらは、いずれも古代の役所(官衙)の遺構に関連する施設と見られます。
 また、遺物では、主に大溝から出土した多数の木簡や30点以上の墨書土器や硯といった官衙遺跡を特徴づける遺物も出土しました。
 これら主な遺構や遺物の時期は、奈良時代から平安時代初頭(8世紀中頃から9世紀初頭)と考えられます。
 手原遺跡の調査は、現在のJR手原駅周辺を中心とする官衙遺跡の調査でもありました。
 2006年度の調査では、南北に延びる区画溝と、その内側に並ぶ9棟の倉庫と井戸や管理施設などが発見され、ほぼその西限を確定することができました。
 また、本調査地の北側の調査では、新たに区画された建物群を発見したことで、手原遺跡の東限区画を想定することができました。
 今回の調査では、官衙遺跡としての手原遺跡の東限および南限に位置づけられるものと考えられます。
古代の地方官衙のありかたと地域史を考える上で重要な発見となりました。

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2007年10月 1日 (月)

明王院・地主神社遺跡発掘調査の一般見学会のお知らせ(07/10/14)

明王院・地主神社遺跡発掘調査の一般見学会のお知らせです♪

 この調査では、現在の明王院の本堂・庵室とほぼ同位置に平安時代の建物跡が存在しており、平安時代末頃から現在まで連綿と途切れることなく山岳修験の道場として受け継がれていたという、大変貴重な成果が明らかになりました。
 ただし、通常の現地説明会と異なり、事前申し込み制となります。また、申し込み先は(財)滋賀県文化財保護協会ではありませんのでご注意を。
 是非参加したい!という方は、下記の内容をよくお読みになって、事前に申し込みをして下さいね(^^)/

明王院・地主神社遺跡発掘調査の一般見学会のお知らせ

(財)滋賀県文化財保護協会HPより

  明王院・地主神社遺跡発掘調査におきましては、平成19年10月14日(日)に一般見学会を実施します。

 ただし、見学会は以下に記しましたとおり、事前申し込み制となっております。

 保存修理中の文化財指定建造物の一般見学会と同時に実施する都合上、通常の発掘調査の現地説明会とは異なる形を採らざるを得ませんので、参加を希望される方につきましては事前にご理解・ご協力をお願いします。

  • 開催日時:平成19年10月14日(日) 9時45分および14時15分からの2回(雨天決行)
  • 会場までの交通:公共機関 江若バス堅田駅発坊村下車徒歩5分
  • 自家用車 大津市葛川坊村町 大津市葛川市民センター前駐車場を御利用ください.(会場まで徒歩5分)

  • 申込方法:はがき・メール・ファックスで滋賀県教育委員会文化財保護課建造物担当までお申し込みください。
  • 送付先:〒520-0044 大津市京町四丁目1-1 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課建造物担当(メール:ma07@pref.shiga.lg.jp/FAX:077-528-4956)
  • 注意:(財)滋賀県文化財保護協会では申し込みを受け付けておりません。必ず上記の送付先までお申し込みください。

  なお、見学会のお問い合わせは滋賀県教育委員会事務局文化財保護課までお願いします。(連絡先:滋賀県教育委員会事務局文化財保護課建造物担当 電話:077-528-4673 FAX:077-528-4956)

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